■新版超ヒマ社会をつくる1 はじめに
「超ヒマ社会をつくる」を書いて2年。コロナ襲来で、事態が激変しました。そこで、半分ぐらい書き直して新版を出版しました。副題「アフターコロナはネコの時代」。紙はやめてデジタル(Kindle)一本にしました。
その一部を、しみ出します。
まず「はじめに」。
------
こんなはずじゃなかった。
ガラガラ。令和の世が明けた。テクノロジーの時代の再来である。デジタルから25年、スマートから10年を経て、AI/IoT/データによる超スマートが来る。
AI・ロボットが仕事を奪う。仕事を奪っても、ぼくらの取り分が変わらなければ、ヒマになる。うんと奪ってくれれば、超ヒマになる。そうなれ。
超ヒマつぶしをしよう。超ポップの超エンタメ、超スポーツ、超教育。そのための超都市。ギギィ。令和の幕開けは超テックの扉が本開きとなる。超ヒマ社会に突入するのは2030年ごろだろうか。想像して、創造しよう。
そこで令和元年、「超ヒマ社会をつくる」という本を書いた。その社会をどう作るかのアクションプランを描いた。
明治・大正・昭和・平成という、近代の起承転結に区切りをつけて、人類が立ち入ったことのない新しい世界、機械が人の能力を超えて、モノどうしがコミュニケーションする新文明の幕を開ける、それが令和だという本だ。
ドイツが言う第4次産業革命、つまり情報産業という第3次産業革命の次の時代。日本政府が言うSociety5.0、つまり狩猟・農耕・工業・情報に次ぐ第5の文明。今から10年後を展望して書いた。
ところが、超ヒマ社会に突入する前に、天からブワッとコロナが降ってきた。じっとしておれ引きこもれ。予期せぬ形で、超ヒマにさせられた。思てた超ヒマ社会とちゃう!
なのにテレワークも遠隔授業もできない。気がついた。日本は第3次産業革命にもSociety4.0にも到達していなかった。情報化ができていなかった。これでやっと第3次、4.0が来る。コロナのおかげで日本もその次の超ヒマ社会に進むことができる。
近代は国家をベースに、資本主義と民主主義の二拍子となった。けれどITはコストを下げ、シェアリングを拡げて、GDP成長主義を揺るがす。各国で分断が進み、民主主義も揺らぐ。非民主の強権国のほうがうまくコロナを乗り切るかもしれない。
他方コロナは2020年まで数千年のBC(ビフォーコロナ)の都市文明にダメ出しする。離れろ。散らばれ。黙れ。とうるさい。そしてワクチンや追跡機能などテクノロジーを要求する。AC(アフターコロナ)のハイブリッドはまだ設計できていない。
なので前書を書き直すことにした。テック&ポップの超ヒマ社会は、来る。ただしコロナは、ハイブリッドという別の一軸を加える。そして引きこもるぼくたちに、超テックの衣装を素早く身にまとえと促す。やってやろうじゃないか。
前書をベースにして、コロナを上書きしたのが本書である。
超ヒマ社会に向けてぼくがしている活動は、全てアフターコロナに向けたプロジェクト。テックとポップが集積する特区「CiP」を東京ベイエリアの竹芝に街開きした。リアルでバーチャルな全員起業の大学「iU」を開学した。アクション自体は変わらないが、コロナ後の意味を問い続けている。
相変わらず問題は、空気だ。縮む空気を吹き飛ばせ。どっどどどどう。コロナが求める換気は、平成30年間ちぢこまってデジタル敗戦に消沈するぼくたちに、巨大な換気扇のスイッチを入れろという信号だ。思い切りAIの粉をまきちらして、深呼吸しよう。走り出そう。こわして、つくろう。
ところで各項に、ちなんだ曲名が現れる。[エクレア](岡崎体育)のように。いい曲はいい人とともに。読みながらバックで流すことを推奨する。音楽ある読書を祈る。