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Channel: Ichiya Nakamura / 中村伊知哉
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白書「フィクションで描かれたICT社会の未来像」26/27

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■白書「フィクションで描かれたICT社会の未来像」26/27

(5)「イヴの時間」~人機が共存する社会
 
 「イヴの時間」は、2008年からインターネット上での公開が始まったアニメ作品である。1話約15分で数か月ごとに行われた配信は人気を集め、DVD販売の後、2010年にはインターネット上で公開された6話に新作部分を加えた映画公開が行われている。作品の舞台は次のように示されている。

 未来、たぶん日本。ロボットが実用化されて久しく、人間型ロボットが実用化されて間もない時代。(インターネット配信版「イヴの時間」冒頭のクレジットより引用)

 「イヴの時間」は、既にロボットが実用化されている世界を舞台としている。この世界ではアンドロイドは家電として売られ、主に家事を行うハウスロイドとして人間の家庭で働いている。アンドロイドは見た目に人間と区別がつかないが、頭の上にリングを表示することで、それとわかるようになっている。

 いかにもロボット然とした旧式のロボットはアンドロイドに席を譲り、不法投棄されたロボットが町を徘徊し、浮浪ロボットとして社会問題化している。人間がアンドロイドを家電扱いすることが当たり前となっている社会であり、過度の愛情をもってアンドロイドと接する人間は“ドリ系”と呼ばれ、問題視されている。

 “イヴの時間”とは作品の中心的な舞台となる喫茶店の名前である。作品の舞台となる世界では、人間とロボットとの共存に反対する人々が倫理委員会という反ロボット団体を結成し、テレビCM等を通じて、ロボットとの共存への異議を唱えているのに対し、この店では“人間とロボットを区別しない”という特殊なルールのもとに人間とアンドロイドとが対等に接している。頭の上のリングを外したアンドロイドたちには、感情と個性が現れる。

 日本最初のテレビアニメシリーズで、最初のロボットアニメでもある「鉄腕アトム」の放送から「イヴの時間」の配信開始までの間には45年の時間が流れている。この時の流れが、ともにロボットと人間が共生する社会を描きながら、両方の作品の違いを生んでいる。「鉄腕アトム」が人間とロボットが共存する世界でのアトムの活躍を描いていたのに対し、「イヴの時間」は、本当に人間そっくりのロボットが人間と共存するようになったとき、社会はどう変わるのかを描いたアニメ作品と考えられる。

 ロボットが人間からの独立、自治を求めた戦いの中で、アトムは人間とロボットの板挟みとなって悩むが、「イヴの時間」に登場するアンドロイドたちは争うことなく、頭にリングを付け、まるで人格がないかのように振舞うことで、人間との間に距離を置き、共存している。人間の多くは、アンドロイドを道具として扱い、アンドロイドと親密な関係を築く人間に貼られる「ドリ系」というレッテルを貼られることを恐れて距離を置いている。

 しかし、喫茶店「イヴの時間」では、人間とアンドロイドの区別はない。そこで人間が行うのは人間とは何か?心とは何か?といった問いかけである。インターネット上のバーチャルな空間で、人はかつてより広くつながり合うようになった。しかし、リアルな空間では、人間同士の距離感は広がっている。とりわけ日本においてはその傾向が強いように思われる。「イヴの時間」では、そうした距離感の上に成り立つぎこちない関係が、人間とアンドロイドとの関係として描かれている。

 勿論、現代のロボットと人間の間にこうした関係はない。人間そっくりのアンドロイドが現れるのは、遠い未来かもしれないし、永遠にないことなのかもしれない。しかし、人と人、人とロボット、ロボットとロボットが連携し、コミュニケーションを交わす時代が訪れようとしている。「イヴの時間」はそうした新たな関係が構築される時の人間の有り様を問いかけている。


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