■フランスぬりえ〜ローヌ・アルプ、そんなものなのかな。
アルベールビルで冬季五輪が開かれたのは22年前。そのころぼくは毎年のことながら役所に泊まりこみで、法令協議をしていました。通信・放送機構法のチーフとして、メディア分野への研究開発予算とその組織を整備するタコ部屋プロジェクトに当たっていました。例年よりも状況が苛烈で、チームを元旦だけ休ませた年です。それも、上司の課長が「元旦だけは休ませないと、あとあと恨まれる」というので仕方なく。 なので、伊藤みどりさんが銀を取り、橋本聖子さんが1500mで胴を取ったことは記憶にありません。黒岩・井上の500m銀・胴もです。でも、萩原・三ヶ田・河野トリオによるノルディック複合のぶっちぎり金は鮮明に覚えています。どうにかして見たんでしょう。
しかし、その会場跡地はがらんとしていて、店も見当たらず、みやげもの屋もありません。五輪まんじゅうも五輪もなかもです。淡白だなぁ。
そんなものなのかな。
第一回の冬季五輪はシャモニー。モンブランのふもとです。1924年。いくよにいさん関東大震災、1923年の翌年のことだったので、日本からの参加はありません。で、シャモニーの観光案内やらみやげもの屋やら博物館やらを訪ねてみたものの、当時を偲ぶ文物も観光プロモーションもなく。五輪まんじゅうも五輪もなかもです。てゆーか「へえ、そうなの。」という対応。わずかに当時のポスターの絵はがきを1枚みつけただけでした。淡白だなぁ。
そんなものなのかな。
ぼくは夏の五輪会場は8割以上行ったことがあり、メルボルン、シドニーなどを残す程度ですが、冬は22か所中これで7カ所目。コルティナ・ダンペッツォ、インスブルック、サラエボ、訪れていない魅力的な場所がまだまだありますが・・・
ところで、こちらで日本人に森伊蔵をいただきまして。モンブランにて、ハムとチーズとともに、ひとりちびちびやっとります。何か、まちがっている気もします。
こちらもモンブランを眼前に控える高級リゾート地、メジェーブ。ヘンリー・マンシーニの名曲に乗せてスタイリッシュなタイトルバックが終わり、いよいよ「シャレード」が始まる、その冒頭シーン、雪をバックにオードリー・ヘプバーンが飯を食う。BGMは同じくマンシーニ楽団「雪のメジェーブ」。そう、そのメジェーブです。
というぐらいの常識を持ち合わせているので、ロケ地を訪ねてみたものの、町のひとは「へえ、そうなの。」「そんな映画が」。ここに違いないと目星をつけたホテルで尋ねても、「そうかもしれませんが、知りませんねぇ。」いやぼくもなにもヘプバーン追いかけてるわけでもないんで、恥ずかしい。
そんなものなのかな。
気を取り直して、サヴォワ県の県庁所在地、シャンベリー。フランス南東部、サヴォワ地方。アルプスを境にイタリアとスイスに文化がまたがります。元の領主サヴォワ家は、イタリア統一でトリノが本拠になったといいます。どうりで町がそっくりだ。
そんなものなのかな。
サヴォワを行く。はい、ぼくの数多き宿題の1つです。フランスは、イル・ド・フランス、ノルマンディー、ブルターニュ、アキテーヌ、ロワール、ピレネー、アルザス、プロヴァンス、コートダジュール、コルシカ、どこも回って全部スキ。でもローヌ・アルプ圏、中でもサヴォワ県は通過したことしかなかったので、今回じわりと回ってみた次第。これでフランスぬりえはほぼ完成であります。
中田英寿がいた「ペルージャ」の人びとがローマ時代に拓いた「ペルージュ」。ネーミングのセンスはニュー・ヨークとか東・京みたいなもんかな。13世紀に全盛を迎えたものの、近代に衰退、滅亡寸前となったが、前世紀、建築家やアーティストが参加して、中世の街をそのまま遺すプロモーションに成功。天才クリントンさんも訪れる観光名所になりました。町おこしの成功例です。
こちらボジョレーの町、オワン。こちらは、古くからのオレンジ壁を活かし、ワインと手風琴で町おこし。「持ってる」もんね、強いよね。
つまんでみたけど、まだすっぱすぎたボジョレー。早く日本においでよ。
最後に、湖の町、アヌシー。マルセイユやニースの海、リヨンの川、フランスの水辺を訪ねて、東京再開発のヒントを得ようと思ってきました。ほぼ全てが水に立脚した街づくり。東京も、かくありたい。
シャンベリーがトリノなら、ここはジュネーブとの親和性が高い。町のたたずまいは、こちらのほうが素敵です。でも、アヌシーは2018年の冬季五輪に立候補したものの、韓国・平昌に敗れました。東京五輪の参考にはならないのかな。
さて、今回使ったクルマ。こういう計器のほうがデジタル表示より安心できてるぼくはアナログ世代です。
さてさて、仔牛のあたま@場末。大いなるぐにゅぐにゅ。大和魂でこれを平らげて、東京に帰ります。
アルベールビルで冬季五輪が開かれたのは22年前。そのころぼくは毎年のことながら役所に泊まりこみで、法令協議をしていました。通信・放送機構法のチーフとして、メディア分野への研究開発予算とその組織を整備するタコ部屋プロジェクトに当たっていました。例年よりも状況が苛烈で、チームを元旦だけ休ませた年です。それも、上司の課長が「元旦だけは休ませないと、あとあと恨まれる」というので仕方なく。 なので、伊藤みどりさんが銀を取り、橋本聖子さんが1500mで胴を取ったことは記憶にありません。黒岩・井上の500m銀・胴もです。でも、萩原・三ヶ田・河野トリオによるノルディック複合のぶっちぎり金は鮮明に覚えています。どうにかして見たんでしょう。
しかし、その会場跡地はがらんとしていて、店も見当たらず、みやげもの屋もありません。五輪まんじゅうも五輪もなかもです。淡白だなぁ。
そんなものなのかな。
第一回の冬季五輪はシャモニー。モンブランのふもとです。1924年。いくよにいさん関東大震災、1923年の翌年のことだったので、日本からの参加はありません。で、シャモニーの観光案内やらみやげもの屋やら博物館やらを訪ねてみたものの、当時を偲ぶ文物も観光プロモーションもなく。五輪まんじゅうも五輪もなかもです。てゆーか「へえ、そうなの。」という対応。わずかに当時のポスターの絵はがきを1枚みつけただけでした。淡白だなぁ。
そんなものなのかな。
ぼくは夏の五輪会場は8割以上行ったことがあり、メルボルン、シドニーなどを残す程度ですが、冬は22か所中これで7カ所目。コルティナ・ダンペッツォ、インスブルック、サラエボ、訪れていない魅力的な場所がまだまだありますが・・・
ところで、こちらで日本人に森伊蔵をいただきまして。モンブランにて、ハムとチーズとともに、ひとりちびちびやっとります。何か、まちがっている気もします。
こちらもモンブランを眼前に控える高級リゾート地、メジェーブ。ヘンリー・マンシーニの名曲に乗せてスタイリッシュなタイトルバックが終わり、いよいよ「シャレード」が始まる、その冒頭シーン、雪をバックにオードリー・ヘプバーンが飯を食う。BGMは同じくマンシーニ楽団「雪のメジェーブ」。そう、そのメジェーブです。
というぐらいの常識を持ち合わせているので、ロケ地を訪ねてみたものの、町のひとは「へえ、そうなの。」「そんな映画が」。ここに違いないと目星をつけたホテルで尋ねても、「そうかもしれませんが、知りませんねぇ。」いやぼくもなにもヘプバーン追いかけてるわけでもないんで、恥ずかしい。
そんなものなのかな。
気を取り直して、サヴォワ県の県庁所在地、シャンベリー。フランス南東部、サヴォワ地方。アルプスを境にイタリアとスイスに文化がまたがります。元の領主サヴォワ家は、イタリア統一でトリノが本拠になったといいます。どうりで町がそっくりだ。
そんなものなのかな。
サヴォワを行く。はい、ぼくの数多き宿題の1つです。フランスは、イル・ド・フランス、ノルマンディー、ブルターニュ、アキテーヌ、ロワール、ピレネー、アルザス、プロヴァンス、コートダジュール、コルシカ、どこも回って全部スキ。でもローヌ・アルプ圏、中でもサヴォワ県は通過したことしかなかったので、今回じわりと回ってみた次第。これでフランスぬりえはほぼ完成であります。
中田英寿がいた「ペルージャ」の人びとがローマ時代に拓いた「ペルージュ」。ネーミングのセンスはニュー・ヨークとか東・京みたいなもんかな。13世紀に全盛を迎えたものの、近代に衰退、滅亡寸前となったが、前世紀、建築家やアーティストが参加して、中世の街をそのまま遺すプロモーションに成功。天才クリントンさんも訪れる観光名所になりました。町おこしの成功例です。
こちらボジョレーの町、オワン。こちらは、古くからのオレンジ壁を活かし、ワインと手風琴で町おこし。「持ってる」もんね、強いよね。
つまんでみたけど、まだすっぱすぎたボジョレー。早く日本においでよ。
最後に、湖の町、アヌシー。マルセイユやニースの海、リヨンの川、フランスの水辺を訪ねて、東京再開発のヒントを得ようと思ってきました。ほぼ全てが水に立脚した街づくり。東京も、かくありたい。
シャンベリーがトリノなら、ここはジュネーブとの親和性が高い。町のたたずまいは、こちらのほうが素敵です。でも、アヌシーは2018年の冬季五輪に立候補したものの、韓国・平昌に敗れました。東京五輪の参考にはならないのかな。
さて、今回使ったクルマ。こういう計器のほうがデジタル表示より安心できてるぼくはアナログ世代です。
さてさて、仔牛のあたま@場末。大いなるぐにゅぐにゅ。大和魂でこれを平らげて、東京に帰ります。