■弱者の時代が来ました。
「共」とか「公」とかが、「私」より前に来る。それは近代のアンチ的だ。
分配が生産より前に来る。それは資本主義のアンチ的だ。
だいぶパンクだと思います。
この10年ほど、共存や協創が大切にされています。
競争や勝利は、少し肩身が狭い。
サステナブルが、21世紀的であり、令和であります。
進化・成長は20世紀的であり、昭和なのです。
winner takes allは米ネットバブルの遺物で、なんだかカッコ悪い。
ちょっと待て。ネットは、効率、資本、競争を推し進めるはずではなかったか。
強いひとが独り勝ちするためのものではなかったか。
どうやら今ネットは、共感や和平を分かち合う手段で、なんだか弱虫に優しい。
日本だけなのかな。そうでもないんじゃないかな。
強い、正しい、リーダー。を求めてきたのです。近代からこっち。
が、今は、弱い、楽しい、ともだちを求めているようです。
率いるひとよりも、支えるひとがいい。
「オレについて来い」より、「いっしょに帰ろう」って言ってほしい。
共感を得られるひとに値打ちが出ています。「いいね」の多いひと。
それはかつての上に立つリーダーじゃなくて、横や下にいるパートナー。
ガバナンスより、フラットが大事になる。
強いひとより、弱いひと。弱くて優しいほうが共感するもん。
平和な時代は。低成長の時期は。
弱者の時代が来ました。
これまで教育は強者になる方法、あるいは強者が弱者に寄り添う方法を説いてきたが、弱者になる方法が求められるのかもしれません。
さて。では、弱者になる方法とは。まだありません。どうしよう。
「正しさ」より「おもしろさ」。
「ツッコミ力」より「ボケ力」。
「ドヤ顔」より「ヘン顔」。
このあたり、学校じゃ教えられないな。吉本の芸人さんに学ぶのがよさそう。
それもM-1王者じゃない、敗けてきたひと。
かたさよりやわらかさ。
マクロよりミクロ。
大声よりウラ声。
天下国家より町内。
マッチョよりヨガ。
偏差値よりコンピテンシー。
眼力より微笑み。
パワーよりタイミング。
働き方より遊び方。
これまで大事にしてきたことを反転して、脳みそのOSを塗り替えないといけない。
う~ん、これを学べる場はどう設計すればいいですかね。