■10年前のデジタル教育反対論を振り返って
デジタル教育が定着します。GIGAスクールでPC1人1台、デジタル教科書も導入となり、学校のウケはよく、増強が求められ 子どもたちも当たり前に使っています。課題はあるけど、順調、世界的にみても成功でしょう。
でも10年前は、反対派からボコボコにされていました。反対の大半は「悪口」なので無視できたけど、反対「論」には反論していました。1人で反論していました。できるだけ冷静に反論していました。
あまりに反対論が多いので、整理して10の公開質問を投げたら、よけい火を吹いて、毎晩ツイートしていました。ちょいちょいまとめて、ブログにもしました。
「デジタル教育反対派への10の質問」
http://ichiyanakamura.blogspot.com/2013/03/10.html
「デジタル教科書反対! その1」
http://ichiyanakamura.blogspot.com/2013/09/blog-post.html
「デジタル教科書反対! その2」
http://ichiyanakamura.blogspot.com/2013/09/blog-post_18.html
「デジタル教科書反対!への質問」
http://ichiyanakamura.blogspot.com/2013/09/blog-post_21.html
「デジタル教科書にサンセイのハンタイなのだ」
http://ichiyanakamura.blogspot.com/2013/09/blog-post_22.html
ご覧のとおり、反対派は、頭が悪い。それはいい。当時、腹が立ったのは、反対するくせに本気じゃないことです。最後のブログの最後に、「「反対するポーズ派」は、55年体制がいつまでも続くのを望んで体制を維持した昔の社会党のようなもので、ぼくからみれば「形を変えた賛成派」であります。」としたが、本気なら本気で潰せよ、安全地帯で四の五の言って、それが足を引っ張ってるのが鬱陶しかった。
当時ぼくは、10年たったら振り返り、反対派に敗戦コメントを求めてやろうと目論んでいました。絶対勝つので。だいたい中途半端な人は、自分が主張したことを忘れているはずで、当時の反対論をどう振り返るのかを聞いてやりたかった。取り分け、学者や研究者や教育者や学校関係者や政治家など、責任ある立場の人たちには、足を引っ張った責任を問いたかった。
それから当方も時間がかかりました。学校教育法が改正され、教育情報化推進法が制定され、デジタル教科書の制度化とプログラミングの必修化が行われ、コロナが来てGIGAが実現するまで7年かかりました。
で、自分も年取って忘れてたのですが、10年たってました。当時の反対派はほぼ黙ってます。逆に、当時「慎重な研究を」とか「時期尚早」とか「なぜ1人1台にこだわる」とか言ってた研究者で、さも自分がデジタルを担っているように振る舞ってるひともいます。終戦直前に連合国に寝返って多幸感に浸るイタリア人のようです。
みなさん、いまどうお考えですか。当時の主張は間違っていませんでしたか。ツイッターのアカウントは全部残してるので個別に聞いてもいいのですが。
なぜ今こだわっているのか。繰り返されるからです。
社会運動たるもの、推進にしろ反対にしろ、いずれも社会正義で、正しいと考えて運動するのです。運動自体はたいていの場合、清らかで、いずれの立場も尊重されます。悪口を除いて。
デジタルの分野だけを見ても、その後も、海賊版対策にしろ、マイナンバーにしろ、ライドシェアにしろ、AI規制にしろ、何にしろ、賛否両論あります。
で、幸いなことにこの国は、たいていの場合、行政需要に沿って、民主的な手続きで、政策決定されます。
ところが、民主的なものだから時間がかかり、その積み重ねで、デジタル敗戦です。そしてその遅れをもたらして負けた側が責任を負わない安全な国であります。
いや、安全すぎやしませんか?ちょっとは発言の責任を取ろうよ。
と思う10年後なのです。