■9.11からの20年、脳天気な期待。
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9.11直後に日本に戻ってプレゼンする予定だった能天気なスライド。 |
20年前の9月11日。アメリカはネットバブルが弾けたとはいえ、ネット最強の季節でした。
ぼくはMIT出身の女性起業家、ママメディア社イディット・ハレル社長とアポがあり、早朝ボストンからクルマを飛ばしてマンハッタンにさしかかるところで、テロに遭遇しました。
これは何度か記しました。
NYからボストンに戻りつつ、カーラジオは絶叫で混乱するばかり、ドライブインのテレビ映像で事態を把握しました。
東海岸は通勤通学時で、3時間早い西海岸は寝ていました。
けれど日本の知人は全員ニュース映像で目撃してしまいました。
リアルタイム度はアジアのほうが高かった。
メディアが世界を映像でつなぐ「高度情報社会」は完成していました。
さすれば相互理解が進み、世界平和が訪れるという「脳天気な期待」は嘘っぱちでした。
相互理解は断絶と憎しみとテロと報復を生む。
アメリカは国家主義を振りかざし、すぐアフガン戦争が起こり、そしてイラク戦争となりました。
10年後、3.11で揺れた日本は、その揺れをテレビとスマホSNSで共有・拡散しました。
映像の威力を9.11以来改めて認識しました。
ただ直後に現地に入ったぼくがたじろいだのは映像ではなく、ツンと強烈な「匂い」でした。
匂いは、デジタルの映像では伝わっていませんでした。
デジタルへの期待はまだ能天気なままでした。
そのころ、スマホとSNSが普及して、民主化の役に立ちました。
アラブの春がやってきました。
民主主義と資本主義がデジタルの波とともに地球を覆っていく。
一つの方向に進んでいく。
そんな「脳天気な期待」を抱きました。
それからまた10年。
アメリカは衰え、20年かけたアフガンで敗戦、撤退です。
イギリスはEUを抜けました。
アラブは春の後、内戦や強権政権に逆戻りしたりしています。
中国は鼻息が荒く、国内の締付けも進みます。
民主主義も資本主義も元気がありません。
「脳天気な期待」は、またも脳天気なままでした。
そしてコロナが国のかたちを浮き彫りにしました。
中国は強権で封じます。
フランスも強権ですがデモばかりです。
アメリカは州でバラバラです。
イギリスはロジスティック管理の強さを見せます。
インドは民衆に腕立て伏せさせます。
日本は要請と空気と忖度です。
世界はバラバラです。
その間、日本は没落していました。
かつて1位だった国際競争力は34位に転落。
コロナで得たのは、デジタル敗戦の認識。
20年前のeJapan戦略と前回の骨太方針はいずれも行政・教育IT化が旗頭。
20年、止まっていました。
デジタル庁を発足させ、この敗戦から復興を遂げる。
折しもデジタル技術はネット、スマホからAIデータへとステージが転換する場面。
ラストチャンスではないか。
明治・大正・昭和・平成という近代の起承転結に区切りをつけて、令和は脱近代に進む。
そんな心持ちかなぁ。「脳天気な期待」としては。
強行した五輪は、国家主義を称揚しませんでした。
特にティーンズたちが主体のシティ系新競技は、ハングリー精神よりも笑顔を見せる涼やかさ、背負うものは国家ではなく、愛や友情でした。
メダルを競う国家型の近代五輪は反転し、超近代の、ユルく楽しむ祭典になりました。
大きなレガシーです。
9.11、10年後の3.11、10年後のコロナ。
10年ごとに「能天気な期待」はしぼんでおります。
10年後は、何が待ち受けるか。
光を見たく存じます。