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Channel: Ichiya Nakamura / 中村伊知哉
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白書「フィクションで描かれたICT社会の未来像」15/27

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■白書「フィクションで描かれたICT社会の未来像」15/27

(5)「ニューロマンサー」~“古くさい未来とはおさらばだ”

 「ニューロマンサー(原題:Neuromancer)」は、アメリカの作家ウィリアム・ギブスンが1984年(邦訳は1986年)に発表した小説である。共通の設定や登場人物を持つ第2作、第3作を合わせて「スプロール・シリーズ」と呼ばれ、サイバーパンクSFの代表的シリーズとして知られている。

 サイバーパンク(cyberpunk) とは、サイバネティクス(cybernetics)とパンク(punk)を合わせた造語である。それまでのハードSFやスペースオペラなどに対抗する考え方で、テクノロジーやネットワークが高度化した社会を背景に、人体と機械の融合、人間の脳内とコンピューターの情報処理の融合が押し進められた社会を描写する作風を指す。

 サイバーパンクが成立した1980年代前半は、欧米を中心にパソコンの一般家庭への普及が始まり、また現在のインターネットにつながる研究がすでに始まっていた時代である。こうした機器や概念に触れる機会が増えたことで、それらが発展した未来への着想が生まれ、それまでのSF作品が描いていた未来とは全く異なる未来を予見する作品群が誕生した。

 「ニューロマンサー」の物語の舞台は、超巨大電脳ネットワークが地球を覆い尽くし、“ザイバツ”と呼ばれる多国籍企業と“ヤクザ”と呼ばれる犯罪組織が圧倒的な機能と影響力を持つ近未来である。

 物語は電脳都市チバ・シティから始まる。主人公のケイスは、デッキと呼ばれる端末を使って“マトリックス”と呼ばれる電脳空間にジャックイン(意識ごと没入すること)し情報を盗み出すコンピューター・カウボーイで、依頼人からのミッションを遂行するうちに、依頼人を操る巨大な存在の正体に近づいていく。

 物語には眼窩にミラーシェードのディスプレイを埋め込んだ女サムライや生前の情報がROMとして残されている擬似人格、背景に合わせて模様が変化する擬態ポリカーボンを着込んだティーンエージャーたちというような人物と、皮膚電極を額に付けて電脳空間にジャックインするためのデッキと呼ばれる端末や他人の五感を共有する疑験(シムスティム)、そして“マトリックス”と呼ばれる電脳空間が存在している。“サイバースペース”という言葉は、この作品において初めて登場し、その訳語として現在では一般化した“電脳空間”という言葉が生まれた。

 これらは、1980年代のICT技術の急発展の萌芽をヒントに、その先にある未来を想像し、提示したもので、それまでのSF作品が提示した未来とは全く異なるものだった。読者の多くはこの作品が提示した世界に、1982年に公開された「ブレードランナー」で映像化された未来を重ね合わせ、未来に関する新しいイメージを得た。

 「ニューロマンサー」の登場に対し、サイバーパンク運動を推進していたSF作家ブルース・スターリングは『おなじみの古臭い未来とはおさらばだ』とのコメントを残している。

 ジャックインはバーチャルリアリティの実現の仕方で、神経を直接刺激するというやり方と考えられる。この言葉は、1990年代にヘッドマウントディスプレイを使ってバーチャルリアリティ体験をする時によく使われたが、実際に皮膚電極を頭に付けてサイバースペースに神経を入り込ませるようなジャックインの技術はまだ開発されていない。

 しかし一方で、脳科学の研究を活用した技術には注目が集まっている。身体を自由に動かせない人が機器を動かすなどに役立つ技術である。工学的なアプローチによってより実用的な目的で脳を活用しようとする研究のひとつが、“ブレイン・マシン・インターフェース”と呼ばれる、脳情報を使って機械やコンピューターを制御する研究である。

 脳情報を読み出し、外部機器と情報をやりとりすることで、視力を失った人に視覚を生じさせたり、義手を自分の手のように動かせるようになる技術である。ワイヤレスのヘッドセットを使って、脳からの信号をセンサーで読み取り、PCに送って使用者の意志を伝えて機械や道具を動作させる小型脳活動計測装置も開発されている。

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