■ローヌ・アルプ、サイネージ記
これ、リヨン、場末の食堂にあったサイネージ。サイネージとしては、なんてことはありません。けど、結構ショックを受けました。
デジタルサイネージコンソーシアムを設立して7年、国内・海外のさまざまな土地を訪れ、上を向いたり床を見つめたりしてきました。大画面も手のひらサイズの画面も見落とさず、屋外でも屋内でも、サイネージがあれば記録して、歓びをつづってまいりました。肉屋チーズ屋魚屋、そこに画面があれば必ず撮ってきました。
モスクワのデパートで写真を撮って叱られたり、北京の紫禁城でパシャパシャやって注意されたり、フランクフルトのルフトハ ンザ本社やヘルシンキのスクリーン屋にアポなして突入して撮影をせがんだりしてきました。このリヨン大聖堂の堂々たるサイネージも、ええんかいなと思いつ つ撮ってきました。
でも、それもそろそろおしまいかなあ。
そう思わせたんです。こちらは4年前、フランス西部、ラ・ロシェル、場末の市場にて。これを見てぼくは、当分デジタルはこの黒板機能を超えないだろう、特にフランスは、頑としてこの柔らかさと手触り感を捨てるまい、と考えたんです。
ところが今、デジタルは容赦なく場末に侵食し、デジタルがアナログを従えているかのようなサイネージがフランス場末でも当たり前にたたずんでいます。
これは120年前に映画を発明したリュミエールさんのお宅にあるサイネージ。見せようとすると、デジタルは当たり前になりましたよ。リュミエールさん。
街角にデジタルがようように広がっていき、技術とコンテンツが同時並行に開発されていき、陳列されていく、その成長が楽しくて、観察とメモを続けてきたのです。リュミエールさんの発明から1世紀たって、新しいメディアの発展に胸踊らせてきたのです。
リュミエールさんのお宅には、大昔の幻灯機もありました。美しい。美しい。デジタルを観察していくと、ここからは、アナログが悲鳴を上げて席を譲っていく、それを見なければならないのでしょうか。そろそろ、サイネージ観察メモの役割はおしまいに近づいているようです。
でもまだやめられないんだなコレが!
リヨン、ガダーニュ美術館。
ロボットと投影型サイネージでお出迎え。
どうもありがとうね。
ガダーニュの中は映像だらけですが、INAの記録映像が流れていると、立ち止まってしまいます。
この国営映像アーカイブがこうして使われている。
日本もこのコンテンツ・インフラが必要です。
ガロ・ローマ美術館。紀元前1世紀、フランスがガリア地方だった時代の都がリヨンです。
フルヴィエールの丘、円形劇場に設置されたサイネージは、銅板に映像と文字を投影し、ナレーションが入るマルチメディア。
そこにあるキッズコーナーも映像空間でした。
リヨンといえばコンパクトシティ。
コンパクトシティといえばトラム。
トラムの中のサイネージ。
もう一つ、コンパクトシティといえば、トロリーバス。
トロリーバスの中のサイネージ。
メトロには見当たりませんでした。
リヨンを代表するギニョール人形を奉るギニョール美術館には、木箱のフタに投影する素朴なサイネージがありました。
ミニチュア博物館なのにどでかい展示、のヨコにミニなサイネージ。
シャンベリー。
サヴォワ県庁近くのカフェにて。
ヘプバーンが「シャレード」冒頭でマンシーニ「雪のメジェーブ」をBGMにメシ喰っていたあたりのサイネージと、そしらぬひとびと。
アヌシー。
オート・サヴォワ県庁近くのカルフールにて。
くだものを映像で選んでデジタルで測ってリアルな価格シールが出されるインタラクティブサイネージ。
登山家の聖地、シャモニー。
登山ウェアラブルマシンのCMサイネージが目立っていました。
この手の大型サイネージはこのシックな村には派手すぎますかね。
シャモニーからモンブランに登っていく電車の駅は、真ん中に据えられたサイネージが迎えてくれます。
これ、リヨン、場末の食堂にあったサイネージ。サイネージとしては、なんてことはありません。けど、結構ショックを受けました。
デジタルサイネージコンソーシアムを設立して7年、国内・海外のさまざまな土地を訪れ、上を向いたり床を見つめたりしてきました。大画面も手のひらサイズの画面も見落とさず、屋外でも屋内でも、サイネージがあれば記録して、歓びをつづってまいりました。肉屋チーズ屋魚屋、そこに画面があれば必ず撮ってきました。
モスクワのデパートで写真を撮って叱られたり、北京の紫禁城でパシャパシャやって注意されたり、フランクフルトのルフトハ ンザ本社やヘルシンキのスクリーン屋にアポなして突入して撮影をせがんだりしてきました。このリヨン大聖堂の堂々たるサイネージも、ええんかいなと思いつ つ撮ってきました。
でも、それもそろそろおしまいかなあ。
そう思わせたんです。こちらは4年前、フランス西部、ラ・ロシェル、場末の市場にて。これを見てぼくは、当分デジタルはこの黒板機能を超えないだろう、特にフランスは、頑としてこの柔らかさと手触り感を捨てるまい、と考えたんです。
ところが今、デジタルは容赦なく場末に侵食し、デジタルがアナログを従えているかのようなサイネージがフランス場末でも当たり前にたたずんでいます。
これは120年前に映画を発明したリュミエールさんのお宅にあるサイネージ。見せようとすると、デジタルは当たり前になりましたよ。リュミエールさん。
街角にデジタルがようように広がっていき、技術とコンテンツが同時並行に開発されていき、陳列されていく、その成長が楽しくて、観察とメモを続けてきたのです。リュミエールさんの発明から1世紀たって、新しいメディアの発展に胸踊らせてきたのです。
リュミエールさんのお宅には、大昔の幻灯機もありました。美しい。美しい。デジタルを観察していくと、ここからは、アナログが悲鳴を上げて席を譲っていく、それを見なければならないのでしょうか。そろそろ、サイネージ観察メモの役割はおしまいに近づいているようです。
でもまだやめられないんだなコレが!
リヨン、ガダーニュ美術館。
ロボットと投影型サイネージでお出迎え。
どうもありがとうね。
ガダーニュの中は映像だらけですが、INAの記録映像が流れていると、立ち止まってしまいます。
この国営映像アーカイブがこうして使われている。
日本もこのコンテンツ・インフラが必要です。
ガロ・ローマ美術館。紀元前1世紀、フランスがガリア地方だった時代の都がリヨンです。
フルヴィエールの丘、円形劇場に設置されたサイネージは、銅板に映像と文字を投影し、ナレーションが入るマルチメディア。
そこにあるキッズコーナーも映像空間でした。
リヨンといえばコンパクトシティ。
コンパクトシティといえばトラム。
トラムの中のサイネージ。
もう一つ、コンパクトシティといえば、トロリーバス。
トロリーバスの中のサイネージ。
メトロには見当たりませんでした。
リヨンを代表するギニョール人形を奉るギニョール美術館には、木箱のフタに投影する素朴なサイネージがありました。
ミニチュア博物館なのにどでかい展示、のヨコにミニなサイネージ。
シャンベリー。
サヴォワ県庁近くのカフェにて。
ヘプバーンが「シャレード」冒頭でマンシーニ「雪のメジェーブ」をBGMにメシ喰っていたあたりのサイネージと、そしらぬひとびと。
アヌシー。
オート・サヴォワ県庁近くのカルフールにて。
くだものを映像で選んでデジタルで測ってリアルな価格シールが出されるインタラクティブサイネージ。
登山家の聖地、シャモニー。
登山ウェアラブルマシンのCMサイネージが目立っていました。
この手の大型サイネージはこのシックな村には派手すぎますかね。
シャモニーからモンブランに登っていく電車の駅は、真ん中に据えられたサイネージが迎えてくれます。